朝穂せぎ4
4,その後せぎは、杉村七郎右衛門によって切り広げられました。
「がんばって、日之城から鳥之小池までほるぞ。」
しかし、とちゅうの沢がくずれてそのせぎは使われなくなってしまいました。
浅穂せぎがきりひらかれ、浅穂新田村が生まれたことは、水不足で苦しい思いをしていた、三之蔵村・宮久保村・三ツ沢村の人々にとって大きなはげみになりました。