朝穂せぎ3


3,今のように機械も技術もない昔のことです。工事にはいろいろな苦心がありました。塩川の水の取り入れ口の高さと、せぎの出口の高さを考えて、せぎの道筋を決めなければなりません。またせぎの道筋のとちゅうに山があればトンネルをほり、谷川があれば樋を使ってせぎを渡さなければなりません。
 明野村や穂坂町にはそのころの工事のむずかしさや、苦心を物語る話が言い伝えられています。
朝穂せぎの水の取り入れ口の近くに、「黒岩」とよばれる固い岩のがけが続いているところがあります。重右衛門と清右衛門は、いくら努力しても岩をくだくことができなかったので、神様をまつり、大峰山に登って黒岩がくずれることをいのりました。6日目の夜、黒岩がくずれ、せぎを通すことができました。二人は浅尾新田村に、岩屋大権現のほこらをたてて、1年に1回水神祭りを行うことにしました。
 朝穂せぎにあるトンネルの中で、最も長いのが、風越しにあるトンネルです。このトンネルの工事は、岩がかたく長いのでたいへんな工事でした。あまりの苦しさに仕事を投げ出してしまった村人たちを、工事の責任者の山口八兵衛は
「村の代表15人をはりつけにする。」
と言ってしかりつけました。村人はおどろき、虚空蔵菩薩をまつり力を合わせてようやく風越しトンネルをほりぬいたそうです。

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