| 青洲堤2 |
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2,明治という時代は大変移り変わりのはげしい時代でした。国のきまりも新しく作られました。それによると市町村を治めるのは、会議によって決められ、進められるというのです。村の中のさまざまなことも村人が会議によって決めなければいけません。 そうした新しい時代を生きていくために必要なものは、何よりも「知識」ではないかと、青州と寿は考えました。そのため明治3年、2人は「日新館」というじゅくを作りました。 生徒は50人ほどで、2人の先生が教えていました。先生の給料は青州がはらっていました。校舎はもとの代官所の建物をかりて使いました。 明治6年「日新館」は「市川小学校」に変わりました。どんな人でも学校で勉強できるようになるべきだと考えていた青州は、「市川小学校」を建てるのに475円寄付しました。青州は近くの村々に学校を建てることにも力を入れ、いくつもの学校を作りました。 |