武田信玄6



6,武田信玄が死んだことは3年間ないしょにしたかったのですが、てきのスパイにより信玄が死んだことはすぐに知られてしまいました。武田家は、信玄の子どもの勝頼が跡をつぎました。3か月後に家康は合戦をしかけてきました。合戦は騎馬から鉄砲の集団こうげきへと変わっていた時代です。甲斐には落日がせまっていました。
 家来たちがあいついでそむいて言いました。
「勝頼殿は守護大名のうつわではない。やることなすことわがままで、これでは国など治められん。」
 1582(天正10)年の3月、勝頼は信長の家来の「滝川一益」の兵に追われて、甲斐の東方にある天目山へ逃げこみましたが、自害してはてました。37才でした。ここに武田家はほろびました。