花火の歴史

始まり・・・ギリシャ、インド、中国である。
      「のろし」が花火の始まり。

 日本に花火が伝えられたのは、1613年8月3日明国(中国)の商人がイギリス人を案内してすんぷ(現在の静岡市)に徳川家康を訪ね、鉄砲や望遠鏡などをけんじょう(主君や貴人に物をさしあげること)をして、その6日には城の2つの丸で明人(中国人)が花火を立て家康がこれを見物にした。こうしてはじめのうちは外国人にたのんで花火を作ってもらっていたが、しだいに日本人が自分で作るようになった。
最も、大きなぶけやしき(侍の家)の中とか、また両国川(現在のすみだ川)の河口あたりでは、花火の製造が許されていた。
 当時の花火として「みずみび」「りうせい」「からくり」などの名があります。
ねずみび・・・地上を走る物 
りうせい・・・上空へ光のおを引いて上がる物 
からくり・・・仕かけ花火のこと

 じんざえもんは、紙の神様と呼ばれていた紙作りにすぐれていた。じんざえもんが市川の人々にその技術を教えた。じんざえもんに感謝して、平塩の岡に石碑(石にほった文)をたてると、ともにじんざえもんの命日にあたる7月20日を、神明社の祭りの日と定めた。
つまり、神明社の祭りや花火大会は、じんざえもんに対する感謝の気持ちの表れだと考えてもよい。じんざえもんの指導を受け、白く美しい紙=肌吉和紙(美人のような紙→肌好し→肌吉)を作れるようになった。
市川大門町で作られる花火は、江戸時代から神明の花火とよばれた。